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今回は東京都心にある江戸の面影が残る護国寺の紹介です。
護国寺は東京都文京区にある真言宗豊山派の大本山。創建は1681年。震災や戦災などで多くの堂宇を失ったが、再建されている。書画•什器の他、国宝•重要文化財等、数多くの寺宝が保存されている。

5代将軍徳川綱吉公の母桂昌院の発願により、創建した祈願寺である。元禄時代の建築物として江戸の面影を残す貴重な建物となっている。

仁王門の建築様式は八脚門の切妻造りで丹塗。元禄期造堂の本堂、薬師堂や大師堂などから成る、徳川将軍の祈願寺としての伽藍の中で、重要な表門である。正面(南側)の両脇に金剛力士像が。背面(北側)の両脇には二天像(右側は増長天・左側は広目天)の仏法を守る仏像が安置されている。
▼仁王門。建立は1697年。造営の観音堂(本堂)より時代が後と考えられる。

南側に安置されている仁王像に右側は阿形あ・ぎょう像。

左側は吽形うん・ぎょう像。

境内は梅の木が植えられており、シーズンには梅の花が咲き誇る。

1938年建立、三尾邦三氏の寄進。様式は京都の鞍馬寺の門を基本に設計され、仁王門と本堂の中間に建立された。
▼不老門。京都鞍馬寺の割拝殿に模した造りになっている。額面不老の文字は徳川家達公の筆によるもの。

▼護国寺大仏。もとは筑波山の別当・護持院にあったもの。

石山寺の多宝塔の模写で建築した多宝塔。本尊は、團芳子氏寄贈の大日如来像を安置、彫刻者は長谷川栄作氏、内部円柱の仙画金銀五彩の紋様は、田中親美氏設計監督により完成した。
▼多宝塔。1938年の建立。塔は石山寺の多宝塔(国宝)の模した建造物。

▼月光殿。近江の三井寺の塔頭日光院の客殿を移築した、桃山時代の建築で書院様式を伝えるものとして貴重な建造物。(国指定重要文化財)

現在の観音堂は1697年に、幕府からの命令により観音堂が建立され、半年余りの工事日数でこの大造営が完成し、後に落慶供養の式典が挙行された。
▼観音堂(本堂)。国指定重要文化財。元禄時代の建築技術の粋を結集した大建造物で、都内屈指の雄大さと称賛されている。

本堂が完成した際、桂昌院念持仏の天然琥珀如意輪観世音菩薩像を本尊とし、その後公開されない秘仏となり、現在六臂如意輪観世音菩薩像が安置されている。この像で示される、六本の手によって、地獄•餓鬼•畜生•修羅•人•天の六つの世界をそれぞれ救うことを表している。
本尊薬師如来は、創立の時にこの地にあった蟹ヶ池より出現した霊像と言われ、今の本尊薬師如来の胎内に収めたと伝えられている。左右に十二神将の像を安置している。
▼薬師堂。1691年の建立。旧一切経堂を現在の位置に移築した。禅宗様建築の手法をとりいれ小規模ながら元禄期の標準的な遺構とした価値ある建造物。

元禄14年建立の旧薬師堂を大正15年に大修理して移築したのが、今の大師堂である。装飾も少なく全体的に荘重、すっきりとした印象をつくっている。真言宗伽藍における大師堂の格式の高さと、中世的な伝統を重んじた貴重な建造物である。大師堂には高祖弘法大師•宗祖興教大師•派祖本覚大師の三尊が安置されている。祖師尊像前には護摩壇が築かれ護摩法が修される。
▼大師堂。弘法大師ゆかりの霊場御府内八十八ヶ所中、八十七番目の霊場。

この梵鐘は、1682年に寄進されたもので、銘文には五代将軍綱吉の生母桂昌院による観音堂建立の事情が述べられ、護国寺が将軍家の祈願寺として、幕府の厚い庇護を得ていたことを示す貴重な歴史資料である。都内同種の遺構がほとんどが失われている中で、当時の様式を伝える貴重な文化遺産。
▼鐘楼(付梵鐘)。鐘楼の中では、伝統を重んじた格式の高い袴腰付重層入母屋造りの形式で江戸時代中期の造営。

▼一言地蔵尊。一言だけの願いを叶えてくださるお地蔵様。

▼身代地蔵尊。危難や病を代わりに引き受けてくれる、慈悲深いお地蔵様
