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こんにちはブログ管理者アッキーです。訪問ありがとうございます\(^o^)/
今回は、鉄道沿線をランニングで巡るシリーズで東武東上線、武蔵嵐山駅ー東松山駅間です。ぶらりと走り、名所があればぶらりと寄り、ゆっくり観光したいところですが、おさめた画像を載せてお伝えします。
走るコースは、東武東上線沿線。
武蔵嵐山駅→つきわの駅→森林公園駅→東松山駅。スタートはここ武蔵嵐山駅。

武蔵嵐山駅のホーム。上り線の次の駅はつきわの駅。下りは小川町駅。

スタート前に武蔵嵐山の名所紹介。武蔵嵐山には史跡があり、鎌倉時代の畠山重忠が居住していた城郭があったと言われている。
畠山重忠は、平安時代から鎌倉時代のはじめにかけ活躍した武蔵の武将。源頼朝に仕え、鎌倉入りや富士川の戦いに先陣をつとめ手柄を立てた。頼朝の命で、武蔵国を領有し勢力争いをする、児玉党・丹党の確執を調停するなど、人々の信頼も集め武蔵武士の代表的人物として、頼朝からも熱く信頼された。

頼朝の死後も鎌倉幕府を支えた13人「鎌倉殿の13人」の有力御家人の一人、和田義盛らとともに二代将軍源頼家に仕え政治に参与したが、北条氏に謀反の疑いをかけられ一族もろとも忙殺された。
▼畠山重忠公像 菅谷館跡・ニノ郭郭の土塁上に建っている。

畠山重忠が居住していたと思われる城郭は、国の指定史跡に選定されている。

畠山重忠にかんする史跡などが学べる嵐山史跡の博物館。菅谷館の主(あるじ)畠山重忠、鎌倉時代の館跡や寺院跡、戦国時代の城郭跡、供養と埋葬などのテーマから、出土資料などを通して、中世(平安時代末期から戦国時代の終わりまで)の埼玉県域の歴史を再現しています。
埼玉県の中世(平安時代末期から戦国時代の終わりまで)を対象として、(1)当館が立地する菅谷館に居住していたといわれる武蔵武士の畠山重忠、(2)武士の館とくらし、(3)県内の中世城館跡、(4)石造物からみた中世に生きた人々の信仰などをテーマとし、展示しています。最新の出土資料や研究成果を、写真パネルや年表なども活用しながら、わかりやすく紹介しています。
常設展示は、入館者が展示を鑑賞しながら、「見て・聞いて・触れて」楽しく学ぶことのできる施設です。展示の鑑賞と、博物館周辺の「比企歴史の丘」を探訪するための博物館です。(嵐山史跡の博物館ホームページより)

菅谷館跡敷地の案内板。

敷地を見学してみる。

土塁上にある畠山重忠公像。

お掘りがしっかりと残っている。
ここが本郭があったとされる場所。

景色を見ると結構高い場所にあるのが分かる。

お掘り沿いには桜の木が植樹されており、早咲きの桜が咲いている。

本郭を守るため造られた凸状に突き出た土塁。出桝形土塁と呼ばれ、敵軍が攻めてきた時、横から矢を放つなど効果的に防ぐよう工夫された盛土。

横から見ると土が盛り上がっているのが分かる。

この祠は西南戦争以来、各戦没後に散華した本町出身者342柱の御霊を合祀したものと説明されている。昭和40年再建修復された。

ところどころに桜の木があり、花を咲かせている。

三ノ郭の出入り口で正坫門と呼ばれ長さ9mの木橋がかかっている。当時の橋を復元して架けられたものだ。発掘調査の結果1mほどの盛土があり、西ノ郭に渡した方に傾斜が付いていた。敵軍の侵入を防ぐよう工夫されたものと思われるが、正確なことは分かっていない。木橋を渡ると西ノ郭だ。

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