こんにちはブログ管理者アッキーです。訪問ありがとうございます。
東日本大震災からまもなく13年になります。その時筆者は仕事で青森県にいました。鉄道が寸断され、電気や水道などライフラインもストップ。その時取引先から親切に対応していただき、いろいろな経験をした4日間をお伝えしたいと思います。
目 次
震災後被災地は復旧復興が粛々と進む
1.三陸鉄道や原発避難地域の鉄道が開通
被災地はこの13年の間に復旧復興が進み、太平洋沿岸の常磐線や、三陸鉄道の運転が再開。東京電力福島第一原発が立地する、避難指示解除準備区域である双葉町の避難指示解除など、少しずつ元の姿を取り戻そうとしています。
しかし3月9日現在震災による死者は全国で15,900人。行方不明者は東北6県で今なお2,520人もいます。家族を亡くした被災者は当たり前の生活を奪われ元の姿に戻ることはできない。それでも生活再建に向け少しでも元の生活を取り戻そうと必死に、前向きに生きていく姿に感銘する。
今までに経験したことのない大きな揺れと長い揺れの時間
1.弘前市内の新店舗立上げ作業中に被災
筆者の震災発生時は、仕事で青森県弘前市に新店舗立上げの作業で、社員男女8人で出張 その内この日5人は弘前駅15時30分発の電車で帰る予定だった
(`・д・) (-ω- )(‘ – ‘ *)ハーイ
もうそろそろ帰る時間だから準備してね
2011年3月11日午後2時46分地震発生
↓本棚 ((((カタカタカタ))))
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(((|lllllllllllllllllll||lllllllllllllllllll|)))
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(((目目目目目目目目 目目目目目目目)))
(; – 。-) 地震 !(・д・;)
おおっ でかいぞ
課長 外に避難した方がいいですか?(・・`)(-。-*)
(;・д・) いや建物の方が安全だからここにいよう
何度か強い揺れを体験するが、幸いにして弘前市は東北の中でも比較的軽い震度4だった
2.直後停電 鉄道は運休になり帰宅困難に
鉄道が運休! ε=(・д・`;)
5人分の今日泊まる部屋を確保しなくちゃ
しかし居残りの3人が今日泊まる市内のビジネスホテルは、安全面から部屋の入室禁止 おまけにフロントのロビーには予約客であふれ、とても部屋の確保どころではない
そんなことよりももっと大変なことが…
ホテルへ確認に行き、取引先の車のワンセグで中継されていた三陸の被害状況を見た部下のA君
課長大変です三陸で津波が発生して住宅が流されてます ヾ(・ω・`;)ノ
(; ̄ロ ̄)ええっ‼︎
3.建物倒壊だけではなく津波や火災の被害が
さらに気仙沼では火災が発生していると言う 三陸には多くの取引先があり安否が気づかわれる
停電のため外部の情報が少なく携帯のyahooニュースからの情報しかなかった
(;・ω・) 📱y
入ってくる情報は津波・火災・建物崩壊・原発事故など甚大な被害のものばかり
どーすることもできなかったが、宿泊は取引先の保養所である黒石市にある旅館を手配してもらう 当然停電なので食事の手配はできないためコンビニで食料を調達 コンビニも大混雑していたもののインスタント食品などはまだ残っており8人分の食料は確保できた
暗い中懐中電灯の光で食事
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(´・ω)🌭 ( ´・)🌯 (* ‘- ‘)[]y 💡 🍙(- – ) f🥫(-。-)r🍪(-“- )
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まずは暖を取れるところがあって良かったとホッとした
翌日に店舗で作業中、夕方に停電が解消
(;・▽・)ゞ おおっ!もう電気ついた💡
青森市内のビジネスホテルで部屋の入室ができるということなので、作業終了後、取引先の車に乗せてもらい送ってもらう
🏢🏨🏬
🚗
寝食出来る場所は確保できたものの、新幹線は復旧の見通しがなく東京に戻る手段がなく、難民状態 明日からどうしようかと途方に暮れる
(;-ω-) 自分だけならいいんだが 他の7人が…。
停電は解消したがホテルのテレビで見た光景に愕然とする
1.福島原発で爆発事故 三陸で壊滅的な被害
鉄道が運休していることよりもっと大変なことが起きている。ホテルのテレビで放映されているニュースで目の当たりにする。三陸の街が津波で壊滅的な状況になり、福島県では原発事故が起こっている。
青森市のビジネスホテルで宿泊した時にもらったその時の新聞。
2.脱力感で気力がなくなるも取引先の温かい対応
原子力発電所の付近には親戚がいて、東北の内陸部には友達がおり、三陸には多くの取引先がある。みんなどうなってしまっただろうか。テレビの報道を見ながら虚脱感や脱力感が襲ってきて、考えることや動く気力が失われてしまった。
東京に戻る足もなく、被害状況はテレビや新聞からの情報しか入らないので、鬱蒼とした気分になってしまう。翌日取引先の部長が心配してきてくれて、県内の観光地に行こうと誘ってくれた。そういう気持ちになれずに断るが、ここで悶々としているよりも外に出た方がいいと半ば強引に連れ出される。本当は取引先である相手が被災者のはずなのに温かいおもてなしだ。
3.青森県を代表するお祭りの展示小屋の見学
青森駅前にある「ねぶたの家ワラッセ」 五所川原の「立佞武多の館」など県内で有名なお祭りで出陣する大型ねぶたの展示品が見学できる施設に連れてってもらう。
ねぶたの家ワラッセはJR青森駅からすぐの場所にある。
夕食も市内の料亭に連れて行ってもらい至れり尽くせりだった。そんな中、青森空港から羽田空港へ向かう臨時便が運行されるということで、8人分の席が予約できたとの連絡が会社から入った。
青森空港から羽田への臨時便で帰京
1.上空から見た被災地の光景に言葉が詰まる
震災から4日目の午後1時過ぎに出発する便であった。
離陸直後の上空から見下ろす被災地の破壊された街の光景は、言葉にいい表せないほど悲惨な状況だった。羽田空港に到着後、首都圏の交通網も完全に復旧されていなかったが、電車・バスを乗継ぎ夜にはなんとか家に辿り着くことができた。
2.被災地へ救援活動忘れられない経験の数々
それからの数ヶ月間は取引先への救援で、何度か被災地へ向かった。そこで見た光景はテレビのニュースや報道で見たものよりもはるかに生々しく、かつて何度も見た街は変わり果て、空襲にでもあったような状態で絶句するしかなかった。この後東北の取引先担当として2年近く従事し、救援や再建に向けた取り組みをし辛いことや感動することの数々で、2年という期間が短く感じたが色々な経験をした。
そして震災から経験した4日間は、とても長く感じられたが、人生の中でも忘れられない最大の出来事になった。なすすべもなく、ボー然とした中、取引先からの温かい対応は本当に感謝したい。原発で営業できなくなった店舗や津波で流失した店舗。地震で倒壊した店舗など自分の担当していた取引先が10数件なくなった。その店舗は未だ再開をしていない。
まもなく震災から13年になるが、行方不明者もまだ2,500人以上もいます。ひとりでも多くの発見と震災で亡くなった方たちのご冥福をお祈りいたします。
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