鎌倉殿の13人名所巡り 特急鎌倉で日帰り旅行

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円覚寺拝観後、鎌倉五山第一位の建長寺を訪れる。建長寺は臨済宗建長寺派の大本山で、日本初の本格的禅寺。鎌倉時代禅によって国の興隆をはかるため、北条時頼の発願により、中国の禅僧・大覚禅師(蘭渓道隆)を開山として創建された。国の重要文化財に指定されている、総門・三門・仏殿・法堂などの主要な建物がほぼ直線上にならび、左右対称の伽藍配置になっている。

建長寺。鎌倉五山第一位に列せられ、鎌倉の中でも有数の規模を誇る大寺院。

この総門は江戸時代、1783年に京都•般舟三味院で建立されたものを、昭和15年に移築されたもの

総門をくぐるとその先には山門があり、さらにその先に仏殿がある。

梵鐘は、1255年関東の鋳物師の筆頭だった、物部重光によって鋳造されたもの。建長寺を創建した北条時頼が当主となり、開山の蘭渓道隆が銘文を撰した梵鐘で、建長寺創建から残る貴重な遺物である。

建長寺の本尊・地蔵菩薩(天国から地獄に至るまで、すべての生物を救い、成仏させると誓う菩薩)を安置。北条時頼と蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の、迷いの中から救い悟りを得るという願いが込められている。

建長寺仏殿。1647年港区増上寺の、徳川二代将軍秀忠夫人の霊廟が移築されたもの。

唐門。起伏のある屋根は、中央部が高く両端が湾曲しているのが特徴で、唐破風と呼ばれる。16世紀後半の日本の屋根の建築様式で作られた、漆塗りの四つの脚がある門。国の重要文化財。

建長寺を拝観後、鶴岡八幡宮へ行く。場所は近くにあり歩いて7分くらい。この道路は鎌倉横浜線といい鎌倉駅方面へ延びる県道。

坂道を下っていくと赤い鳥居が現れる。この階段を上がったところに鶴岡八幡宮の本殿があるようだ。

鳥居をくぐると立派な手水舎があった。

鶴岡八幡宮は1063年に源頼義が、京都の石清水八幡宮を鎌倉由比郷鶴岡の地に歓請して、お祀りしたのが始まり。鎌倉幕府、初代将軍源頼朝により、現在地に造営された。1191年には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整えられた。本殿は代表的な江戸建築で、国の重要文化財に指定されている。

鶴岡八幡宮本殿。鎌倉幕府を築いた源頼朝が1180年に現在の場所に移し社を構え、源氏の守り神として創建した。

鎌倉八幡宮とも呼ばれる国指定の重要文化財。御祭神は日本の神道における神、八幡大神とされる「応神天皇」、「神功皇后」、「比売神」の三柱の神様祀っている。この神様には勝負運や家内安全、仕事運にご利益があるとされている。

舞殿は、鎌倉大火後の1193年に新造された。中央部が高く両端がそり曲がった唐破風の入母屋造りの建物。下拝殿とも呼ばれ、神社での祭りや儀式のほか、各種行事が行われている。

1180年源頼朝は伊豆国に源氏再興の旗を上げ、石橋山の戦いに敗れて房総に転じ、鎌倉に移るや直ちに鶴岡八幡宮を創建し、居館を定めて平家討伐の本拠地にした。妻政子は平家滅亡の悲願をするも中々叶わず、1182年に境内の東の池に、縁起の良い三島を配した源氏池を、西の池には死を連想させる四島を造り平家滅亡を祈った。それがこの源平池と呼ばれる池である。

源平池。1182年北条政子の命により、弦巻田と呼ばれていた水田に池を掘らせ平家滅亡を祈ったと伝えられている。

旗上弁天社。東の池の中の島に辨財天社を祀った。明治初期に除かれたが昭和59年、江戸末期文政年間の古図に基づき社殿が復元された。

社殿の裏側に政子石という陰陽石が置かれている。北条政子が妊娠した際に源頼朝が安産祈願をした石と伝えられている。

若宮大路と言われるこの道は、鶴岡八幡宮から由比ヶ浜に延びる参道で、日本遺産に指定されている。吾妻鏡などによれば、源頼朝が政子の安産祈願のために造られたと伝えられている。春には桜が咲き誇り、美しい桜並木が見られる。

道路脇には鎌倉の工芸品や、地元食材を使った飲食店やスイーツ店など、名物店や専門店が並んでいる。

鎌倉の名物料理しらす丼を頼んだ。生しらすと釜揚げしらす、イクラがのった三色丼。この組み合わせはご飯がすすむ。もちろん生ビールも注文した。

妻はマグロとしらす丼を頼んだ。まぐろも美味そう。

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