歴史ときめく城下町 蔵造りの町川越を巡る

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札の辻を東方面に行くと川越城跡が現れる。

向かい側には美術館や博物館があり芸術や歴史が楽しめる。

川越城は1457年、扇谷上杉持朝(もちとも)が古河公方足利成氏(しげうじ)に対抗するため、家臣の太田道真(資清)・道灌(資長)父子に命じて築城した。明治になり川越城は解体され、堀の遺構も埋め立てられ、城の遺構もほとんど残っていない。東日本に唯一現存する本丸御殿は、当時のものより縮小しているが、大広間が残る貴重な文化遺産として保存されている。

川越城本丸御殿。川越城は1457年上杉持朝が築城。本丸御殿は1848年に松平斉典により造られた。

松平際典により建立された本丸御殿は、現存する玄関部分と移築復元した家老詰所を公開している。

入館料金:一般100円 高校生・大学生50円  中学生以下無料

川越城には七不思議があるらしい。興味がある方はこの案内板を読んでみてください。

わらべ唄発祥の地。通りゃんせ通りゃんせの舞台はここ川越城だった!?城内の見張り番と、七五三のお祝いに訪れた親との問答が歌われたのが「とおりゃんせ」と言われている。歌詞の中で「この子の七つのお祝いに、お札を納めにまいります」と言い、帰り道にも怖い見張り番がいて、“行きはよいよい帰りは怖い”からという伝説がある。

三芳野神社は埼玉県指定文化財の神社。参道がわらべ唄とおりゃんせの舞台と言われる。川越城の築城により、神社が城内にあることで警備が厳しくなり、参詣する人々の思いが童謡になって広く知れわたったと伝えられている。

三芳野神社。1624年川越藩主酒井忠勝が、徳川家光の命を受けて建立した神社。祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)。

川越城本丸御殿から、歩いて10分ほどの場所にあるのが川越大師として知られている喜多院がある。この先が喜多院がある参道だ。

喜多院にはいくつか入口があるが北東に山門が建てられている。4本の柱の上に屋根が乗る四脚門形式で、切妻造りで本瓦葺。喜多院は1638年の大火により、寺院のほとんどの建造物が焼失したが山門は焼失を免れた。

喜多院山門。1632年に建立。国指定の重要文化財。

喜多院の境内に入ってみる。

喜多院は江戸城からの移築建造物。1614年徳川家康公の寄進により伽藍が整備されたが、1638年の川越大火により山門を除く諸堂が焼失した。再建にあたり三代将軍家光公は、江戸城内の御殿を川越に移築する命を下した。江戸城から移築された建造物は、客殿・書院・庫裏の3棟で、現在国指定重要文化財として保存され公開している。

川越大師喜多院。830年慈覚大師が創建した勅願所。多くの文化財を所蔵している喜多院は、埼玉県を代表する寺院。

慈眼堂。慈眼大師天海を祀る御堂。1645年徳川家光公の命により御堂が建てられ、厨子に入った天海僧正の木像が安置された。

大黒堂。小江戸川越七福神の3番目の札所として大黒天が祀られている。

喜多院の手水舎。上向きの剣に二匹の龍が絡みつく倶利伽藍龍スタイル。右に見える赤い建物は多宝塔。

川越大師多宝塔。1639年に建立。埼玉県の有形文化財に指定されている。1910年に慈恵堂と、庫裏玄関との渡り廊下中央部分に移築された。

喜多院庫裏。国指定の重要文化財。客殿と書院に渡り廊下でつながれている庫裏は、現在拝観の人の入口で受付けになっている。

川越大師喜多院の詳細はこちら🔽

川越の蔵造りの街並みと、歴史建造物の数々はいかがでしたでしょうか。埼玉県にも国を代表する歴史ある文化財や所蔵品など、見応えがあります。おしゃれなスイーツ店や川越グルメも楽しめる川越を、是非訪れてみてください。

川越に行くならレッドアロー小江戸号。動画もご覧ください。

川越観光にはお得な小江戸クーポン。過去記事をご覧ください。

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