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JR大宮駅。平日にもかかわらず、多くの乗客たちが改札の中に吸い込まれるように入っていく。ホームも新幹線を待つ客で大勢の人が並んでいた。

予約した新幹線はつばさ123号山形行き。前日はパンタグラフが損傷したり、車両故障が発生したりで、午前と午後に2回も運休になり終日ダイヤが乱れた。今日も最強寒波が来ているから、また車両に不具合が生じたり強風などで運休し、現地で足止め食らってしまうのではないかと不安でいっぱい。

そんな心配も和らぐようにつばさ号が定刻通り到着。指定席を予約したひと月前は、どの車両もガラガラであったが、席はほぼ埋まっていた。

順調に福島駅まで運行し、山形方面の奥羽本線に入ると、大雪の光景に変わる。米沢駅手前の集落はかなりの豪雪地帯で住宅が雪にうもっている。

新幹線の車窓からの眺めだが、天気がとても良く雪で白く染まった山々が美しい。

最初の目的駅米沢駅には予定通り到着した。

米沢駅でつばさ号を下車。山形方面に出発する動画をご覧ください。

米沢市は豪雪地帯。米沢駅もこの通り、除雪した雪がホームの高さより上に積み上げられている。

米沢駅に最後に行ったのは2012年だから13年ぶりに訪れる。しかし駅舎も、駅周辺もほとんど変わってない。まあ地方都市というのはあなり変わり映えしないのだろうけど。久々に訪れて、変わりようにびっくりしたのは新潟駅くらいだ。

車も公衆電話も郵便ポストも雪に埋まっている。上杉神社は遠い距離ではないが、雪道を歩いて行ける距離ではないのでバスに乗って向かう。バスなら10分くらいの時間だ。

バスの本数はあまりないが、タイミング良く乗れる時間に来た山交バスに乗り、上杉神社前で下車する。乗客はスキーやスノボ、大きな荷物を持った若者たちが多く、スキー場に行くバスのようだ。

上杉神社前のバス停に到着すると上杉城史苑がある。

上杉神社の周辺を散策するが雪景色が広がり、どこに何があるか分からない。この風景は雪で覆われて分からないが、舞鶴橋から見たお掘りだ。米沢城は現在残っていないが、本丸跡は上杉神社の境内となっている。わずかにお城があった面影が残っている。

米沢城は伊達氏・上杉氏の居城で松岬城・舞鶴城とも呼ばれる。米沢城の起源は、鎌倉時代に地頭・長井時広が居館を置いたと伝えられる。その後、長井氏に替わり伊達氏が置賜地方を領し、1548年には伊達晴宗が本拠を米沢に移し、輝宗・政宗の3代で米沢城下が整備された。米沢城ゆかりの戦国武将は伊達政宗・直江兼続・上杉景勝。

舞鶴橋から見たお掘りの光景。

松岬神社。上杉鷹山・上杉景勝・直江兼続など六柱を祭神としている。

1902年、上杉神社から経済を立て直した上杉鷹山公を分祀し、松岬神社と称し、1923年に米沢藩初代藩主の上杉景勝を合祀。1938年景勝の重臣である直江兼続などを合祀した。

社殿の屋根から氷柱がぶら下がっている。

手水舎も屋根が大雪に積もり重みで崩れそう。

この銅像は上杉鷹山の銅像のようだ。上杉鷹山は困窮・崩壊寸前の藩復興させた江戸時代唯一の名君として知られる。「なせば成る、なさねば成らぬ、なにごとも、成らぬは人の為さぬなりけりは」この言葉は上杉鷹山の有名な言葉だ。

上杉鷹山公。上杉家十代の上杉鷹山は米沢藩第九代藩主

上杉謙信の養子となり、家督争い制した上杉景勝は直江兼続を側近とした。兼続は秀吉からも世の中を統治できうる者と言わしめるほどとなり景勝を支えた。景勝は越後を統一し、豊臣秀吉の新任を得て、徳川家康と相対することになった。関ヶ原の戦いで西軍方に加担し米沢城を居城することになった。現在の米沢のもととなるまちづくりは上杉家の重臣直江兼続の手によって始められた。

天地人像。天地人の放送によって全国に示された主従の強い絆や上杉家に継承されてきた義と愛の精神を後世に伝えていくことを願い、上杉景勝・直江兼続の銅像を建立した。

上杉神社に続く参道。一面が雪でまだどこに何があるか分からない。

上杉神社の「毘」と「龍」の旗。上杉謙信が戦いの時に軍旗としてのぞんだ旗。全軍総攻撃の時の突撃を、合図として掲げられた旗と言われている。

鳥居をくぐると上杉神社の社殿が見えてくる。

1578年戦国の名将上杉謙信公が越後の春日山城に49才で急逝された時、その遺骸を城中不識庵に仏式を以て鎮祭されたが、二代景勝公が会津を径て、米沢に移封されるに当たり、祠堂を米沢城内に移して仏祭を厳修し爾来260年に及んだ。(上杉神社御由緒の案内板より)

上杉神社。米沢市出身の建築家、伊東忠太博士による設計。

戦国武将最強と言われている上杉謙信を祀っている、米沢城本丸跡に建立された神社。開運招福や諸願成就、学業、商売繁盛の御利益があるとされる、パワースポットとしても知られている。

平日ではあるが多くの参拝者が訪れてくる。

福徳稲荷神社。鷹山はこの社を厚く信仰し木彫りにした正一稲荷大明神の額を寄進した。

福徳稲荷神社は1725年、二の丸にあったお寺の蔵王堂内に六代藩主の、上杉宗憲が創建した。以後は米沢城の鎮守として信仰された。

福徳稲荷神社は霊験あらたかな白狐伝説がある神社。赤色の大鳥居や参道の鳥居と青い空のコントラストが美しい。

米沢市上杉博物館。常設展示では米沢城や直江兼続の業績、上杉鷹山の改革、米沢や置賜の特徴を示す歴史などを紹介している。

常設展示の鷹山シアターでは、多彩な手法で見て・触れて米沢の歴史を知ることができる。企画展示室では織田信長が上杉謙信に贈った、上杉本洛中洛外図屏風や、上杉家文書などの国宝を展示紹介している。企画展示室は歴史や美術など幅広い展示をしている。

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