鉄道沿線RUN 両毛線 足利駅ー佐野駅を走る

, ,

スタートは市の中心部にあたる場所、JR両毛線の足利駅。

足利氏発祥の地である市内には、足利氏ゆかりの社寺はじめ、多くの文化財である神社が点在している。この周辺の名所をランニングしながら立ち寄ってみる。

駅前は商業ビルやビジネスホテル、学習塾が立ち並ぶまあまあ賑やかな場所だ

駅前にはEF60形電気機関車が展示されている。この機関車は1964年製造。

かつて両毛線の貨物列車牽引で活躍し、現存するものは少なく、現在でも完全形で静態保存されている貴重な機関車である。

次のあしかがフラワーパーク駅は右方面であるが、足利学校や織姫神社など名所がある場所は左の桐生方面。目指す方向と逆であるが左に折れる。

最初に訪れるのは、足利駅から徒歩で7分ほどの場所に位置する足利学校。学校の周辺は、観光客に向けたお土産店や、名物料理・郷土料理などを提供する飲食店が立ち並ぶ。

足利学校に入る最初の門。1931年鑁阿寺安養院の火災により類焼。1909年に裏門を移転修築したと言われている。入徳とは徳に入るという意味で道徳心を習得するところ、すなわち学校に入るという意味。

国指定史跡足利学校。自学自習の精神を今に伝える教育の原点、日本最古の学校。

足利学校は足利中世に日本に来た、宣教師フランシスコ・ザビエルによって広く、ヨーロッパに紹介された。日本国中最も大にしてもっとも有名と伝え、同じく宣教師のルイス.フロイルも日本でただ一つの大学が足利にあると伝えている。学校門は日本で唯一の学校に額がかけられた門だ。1668年に建てられ足利学校のシンボルとして江戸時代から今日まで受け継がれて来た。

稲荷社は1554年足利学校の鎮守である稲荷大明神の社殿を再建し、八幡大菩薩を合祀したことから創建された。霊験あらかた、江戸時代には足利の町をはじめ多くの人々の信仰を集めた。伝えによれば稲荷社の狐が異変を知らせてくれたことから大切にされ、御供小豆飯をわらにのせ狐穴に供えたという。今では学業成就・合格祈願を願い、多くの人が参拝に訪れる。

稲荷社。1770年十六世庠主千渓元泉が、稲荷大明神を改め正一位霊験稲荷社とした。

大門通りと呼ばれる道の先に見えるのは鑁阿寺だ。足利学校のすぐの場所に位置する鑁阿寺は現姓足利氏の第二代義兼公が建立したと伝わる寺。

ここの通りの脇道にひっそりと鎮座する八雲神社。森高千里の「渡良瀬橋」で歌われたことで、全国からファンが参拝に訪れていたが、2012年12月に火災で焼失。再建を望む多くの人たちの支援で、2017年に再建した。

総社八雲神社。森高千里の渡良瀬橋で歌われた神社。八雲神社はおよそ1100年ほど前(平安時代)の創建とされる歴史ある神社。

大門通りに立つ征夷大将軍 足利尊氏公像。

鑁阿寺の山門は、室町時代の戦による火災で焼失後、1564年に13代将軍足利義輝が再建したもの。

鑁阿寺山門(仁王門)。1196年足利義兼によって建立したのが始まりとされる。

周囲に土塁と堀をめぐらした寺域は約40,000平方メートルあり、鎌倉時代の武家屋敷の面影を今に伝えている。

山門をくぐり中に入る。鑁阿寺の境内には鐘楼・不動堂・一切経堂・多宝塔・御霊殿等の七堂伽藍を備えた東国の密教の代表的な寺である。約40,000平方メートルある敷地は、元々は足利氏の館(やかた)であり、現在でも、四方に門を設け、土塁と堀がめぐらされ、平安時代後期の武士の館の面影が残されている。「史跡足利氏宅跡」として、2013年に国宝に指定されており、足利市を代表する観光スポットの一つとなっている。

鑁阿寺本堂(大御堂)は、鎌倉時代初期1196年、現姓足利氏の第二代義兼公が建立したと伝わる寺。本尊は源氏相伝の守本尊、足利氏の守り本尊である大日如来(だいにちにょらい)を祀る。

国宝鑁阿寺本堂。大日如来を本尊とし脇本尊に薬師如来・聖観世音菩薩と聖天様を祀る、東日本を代表する中世の密教本堂。

多宝塔。開基足利義兼公の創建と伝えられているが、現在のは元禄五年徳川五代将軍綱吉の母、桂昌院尼公の再建と伝えられていたが、相輪の宝珠を調査したところ、1629年銘のものが発見され、塔の再建年代がさかのぼる事が判明した。

多宝塔。栃木県指定文化財本尊は金剛界大日如来。多宝塔としては国内で最大。

経堂は足利義兼が妻の供養の為、一切経会を修する道場として鎌倉時代に創建したと言われるが、現在の建物は、1407年関東管領足利満兼により再建された。堂内に八角の輪蔵(経棚)があり、一切経二千余巻を蔵するが、この経棚は江戸時代宝永年間の大修繕のもの。

経堂。国の重要文化財され、日本有数の規模を誇る。内部にある八角形の輪蔵の周りには、室町幕府歴代15代の将軍座像が安置されている。

鑁阿寺境内の北西に並ぶ御堂の一つ。大酉大権現は俗におとり様といい、古来武神として武門の信仰篤く、殊に東国では 近世より商売繁昌、福の神として信仰されている。

大酉堂。このお堂は元来、足利尊氏公を祀るお墓として室町時代に建立された。

鑁阿寺の大いちょう。開祖足利義兼の御手植えと称しているが、鎌倉時代末期正和年間の当山の古地図には載っていない。鑑定により樹令約550年といわれる。江戸時代には既に大木となり、樹下に於いて大日如来のお堂を前にして、青年男女の見合いが行われ、縁結びの御神木ともいわれている。

整備された境内の庭園には、梅が綺麗に開花している。休日には梅の花見学の客で賑わいそうだ。

ページ: 1 2 3 4 5 6

Follow me!


PAGE TOP