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こんにちはブログ管理者アッキーです。訪問ありがとうございます\(^o^)/
今回は、鉄道沿線を歩いて巡るシリーズ真岡鐵道 真岡駅〜久下田駅です。地元の名所があればぶらりと立ち寄り、歴史と文化を探索し、画像におさめてお伝えします。
前回歩いた区間は益子駅ー真岡駅。再び真岡に訪れたので、その先真岡駅ー久下田駅間を歩いて見ました。今回は土曜日ということで、SLの運行があったので沿道からSL動画も撮影しましたので、ご覧ください。
鉄道沿線ランニング真岡鐵道の前回記事です。
真岡鐵道の歴史は前回記事で紹介しましたが、改めてお伝えします。真岡鐵道は、明治45年4月に真館線として営業開始。下館〜真岡が開通しその後、大正2年7月真岡〜七井間、大正9年12月に七井〜茂木間が開通した。戦後、経済の発展とともに生活や環境の変化により、利用客が減少。
廃止対象路線として決定されるが、多くの学生が利用することや、工業団地・住宅団地建設に伴い、沿線自治体の反対により存続することが検討された。昭和62年1月に開催された真岡線対策協議会で、栃木県や市町、民間企業などの出資による第三セクターとして存続されることが決定した。昭和63年4月に真岡鐵道株式会社による運行が開始された。
スタートは真岡駅。走る区間は真岡駅→寺内駅→久下田駅。鉄道距離は7.8km。ゴールは久下田駅であるが、SLの動画を撮影するため、久下田駅から折り返して、寺内駅方面の沿線を撮影ポイントまでぶら歩きすることにした。

前回も紹介したが、真岡駅は車両基地にもなっており、たくさんの車両が停車している。

SLに連結される客車。

併設されているSLキューロク館には機関車や客車、貨物列車などが展示されている。

スハフ44形客車。北海道で使用されていた急行ニセコの三等緩急車客車。1987年頃まで走っていた。

明治時代や昭和初期に製造された貨物列車。

国鉄時代の昭和に活躍した車掌車ヨ8000形。製造は1974年。当時は斬新なデザインと、車掌車としては初めてのトイレを設置し、乗り心地改善など居住性を重視した車両。

D51形蒸気機関車は、D50形の改良機として1936年〜1945年の間に1115両が製造された、日本を代表する機関車。

SLの動画を撮影したのでご覧ください。
線路沿いを走ると、錆びた貨物列車や気動車など、廃車になったような車両が停車している。

駅周辺は鉄道の車両で賑わうが、大きな商業施設がなく、中型のビジネスホテルが1軒ある程度の場所だった。

線路はしばらく住宅街の間を走っている。ここを通り抜ける真岡鐵道をご覧ください。

住宅街の線路脇の道路は通り抜けできず、国道沿いを歩く。この先沿線から外れそうなので、左側に向かう。

国道から左にそれると古い家が並ぶ市道に出た。まもなく寺内駅だが、周辺には商店街はなくコンビニもない。

かなり古い建物の駅。待合室の横の部屋は改築のためか作業していた。

駅の横には公民館がある。

駅はもちろん無人駅だ。
ここの駅は桜の木がなく、住宅と農地が広がるのどかだが、シンプルな景観。

こちらは下館駅方面。寺内駅に入線する真岡鐵道をご覧ください。

寺内駅を出て次の駅を目指す。ひと駅の区間が4km近くあり、長く感じる。
架線柱がないから線路がどこにあるのか分からない。時々踏切りが見えるので、そこで線路の位置を確認する。農地が広がり、遠くに見える山は筑波山だ。

あちこちに黄色い花が咲いているが、菜の花か。

踏切を渡り線路脇の農道を走る。

長く歩くと筑波山もだんだん近くに見えてくる。

ここの一本道がSL撮影の良さそうなポイント。冒頭でアップしたSLの撮影動画はここの場所。久下田駅まで歩いたら、折り返しここまで戻りここが、ゴールだ。
普通列車も走ってきたので撮影してみた。

農道をぶら歩きしていると踏切が現れここを通過する。

住宅街を通り抜け、まもなく駅か。

跨線橋には下を走るSLの撮影のため、鉄道マニアの機材が並んでいる。

跨線橋をはしる電車はこんな光景だ。
