駅前には二宮尊徳(二宮金次郎)の銅像がある。二宮尊徳は学校にある銅像で有名。読書しながらまきを背中に担ぐ姿だ。二宮尊徳は真岡の偉人で、真岡の復興に携わった。その周辺二宮町という地名があるが、二宮尊徳に関係する地にちなんでつけられた名前だろうか。

駅から少し離れた場所に二宮尊徳資料館があったので見学してみる。二宮尊徳資料館は、駅から車で10分ほどのところにある、のんびりした風景にある場所だ。

入館は9時〜16時30分。月曜日が休館で入館料は無料。

二宮尊徳は1787年現在の小田原市の農家で生まれ、通称金次郎という。幼い頃両親を亡くし、伯父のもとに引き取られ暮らすことになった。金次郎は日夜一生懸命学び、働き24歳の時に独力で一家を再興させた。また、小田原藩家老服部家の立て直しにも成功し、高い才能を認められ、現在の真岡市の復興の命を受け、一家揃って桜町陣屋に転移した。

金次郎は日夜働き、暇を見つけては勉学に励んだ。復興を託された当時の桜町は、四千石と言われていた敷地が、一千石にも満たないほどの荒れた田畑で、農民も皆疲れ果てていた。尊徳は一軒一軒訪ね勤勉を勧め、農機具を与えるなどして農民の士気を高めた。自らも用水路や堰、橋などを改修し村の発展を進めた。最初は一千俵にも満たなかった桜町も復興後三千俵を超える豊かな村になった。
陣屋での暮らしや桜町復興に着手した際に使用された器具。

当時使われていた掛軸や着物が展示されている。

二宮尊徳の肖像画のお札や書物などが展示されている。

桜町陣屋は1699年、小田原の大久保家旗本の分家の旗本宇津家が、野州桜町四千石の領地を治めるために設けた出張役所。お殿様の屋敷は江戸東京にあった。
桜町陣屋跡からは、たくさんの出土品が発見され、発掘調査が行われた。出土品は、素焼きの皿、京焼茶碗や茶器、鼈甲かんざし、鉛玉他。現在、江戸時代に近い建物に復元された、桜町陣屋跡に金次郎時代の遺構が地下に埋め戻され保存されている。

金次郎が覗いた節穴。

資料館のある場所の横には、広大な広場に桜が咲き誇る。

広大な敷地に満開の桜の先に桜町陣屋跡がある。桜町陣屋跡は資料館に併設している。

桜町陣屋は、1823年二宮尊徳が着任時に建設された尊徳が桜町復興のため居住していた建物。建物は数回改築や、修復が行われている。現在茅葺屋根のこの建物が残り、昭和7年3月に国の指定文化財に選定された。
足洗池。尊徳は毎日朝早く起きて村を巡回し、農家に立ち寄り営農や生活指導をした。夕方に陣屋に上がる際に尊徳が足を洗った池と言われている。

桜町陣屋跡の間取り。




陣屋での仕事は、今と同じように出生届や死亡届を受けたり、税金(年貢)を集めたり、事件や争い事の判決にあたった。

尊徳のいた頃の陣屋は、周囲を土塁で囲まれた中に、主屋や長屋、書物蔵などが建っていた。陣屋はその後敷地が今市報徳二宮神社が、建物は下野報徳本社が管理することになり、昭和7年に国の史跡に指定された。整備事業は、当時の記録を基に尊徳の居住していた時代の水路、水田などを修復し復元し、主屋は増改築を繰り返し現在の建物に至っている。

二宮尊徳を祀る桜町二宮神社。鬱蒼と生い茂る林の先に社殿がある。

手水舎。

二宮尊徳没後50年の1905年に尊徳の霊を祀って桜町陣屋内に創建された。その後1936年に資料館の隣の場所に移り、社殿も改築した。毎年二宮尊徳の命日11月17日に祭礼が執り行われている。尊徳のお墓は神社近隣にある蓮城院にある。

前回に引き続いて真岡鐵道の沿線ランニング。SLが間近で走る姿は迫力があり、遠くから汽笛が聞こえやがて近づいてくる姿に感動した。ディーゼルに牽引された客車やSLも、偶然見かけて動画が取れたのも運が良くサプライズだった。また、こどもの頃から知っていた二宮金次郎が、ここの地の偉人ということを初めて知り、資料館などで学べて、またひとり偉人の歴史の知識が加わった。こうしてランニングをしながら、そこの地域で活躍した英雄や偉人たちを学ぶのが楽しい。
真岡市観光はこちらのホームページをご覧ください。

