森林公園駅に停車する電車を背景に東松山駅を目指す。
中々のどかな光景が広がっている。

長い直線の線路が続く。こちらは森林公園駅方面。

こっちは東松山駅方面。

新しい家が並ぶ住宅地。ここも売り出ししていて住宅街が広がっていきそう。

踏切を渡る。森林公園駅からはるか彼方に来た。

快速急行と急行列車のすれ違い動画をご覧ください。
線路から離れ住宅地へ。

前橋藩が領地管理のため設置した松山陣屋。1749年利根川氾濫による前橋城崩壊の危機で、藩主松平朝矩が再建を目指したが、財政難のため対応できず居城を川越に移した。
それから100年後藩主松平直克は、前橋城を再建すると武蔵国は、比企郡を中心に領地が残ってしまった。これを管理するため、松山に城以外の拠点を置いた。それがここ松山陣屋跡。当時陣屋には藩士260人が働き藩士屋敷は40棟あった。鉄砲の練習場もあったことから、松山陣屋鉄砲場跡と石碑に刻まれている。

松山陣屋跡がある八幡神社は、松平家が1667年姫路男山に創建。その後に前橋に移設。次いで川越に移設。1885年に松山陣屋があるここに移設された。

駅前通りといった街並みに変わる。歴史のある街らしい風景。ところどころに古風な建物が残る。

創業が明治時代のお店。


間もなく東松山駅。

東松山駅を発車する電車をご覧ください。
過去には武州松山駅という駅名であったが、4ヵ村と合併し東松山市になった時に駅名も改称された。

駅前は小規模なロータリーがありスッキリとしている。駅もモダンな造りで東口はレンガ造りの駅舎になっている。

東松山駅を南側から見た風景。

東松山駅から西に少し行った場所赤い大きな鳥居を発見。行ってみる。

参道にはカフェや茶屋などオシャレでモダンな建物が並ぶ。


箭弓稲荷神社。712年に創建された古い歴史のある神社。国指定の重要文化財に選定されている。祭神は日本神話に登場する神、保食神(うけもちのかみ)。

穴宮と呼ばれる末社團十郎稲荷神社。左の棟が宇迦之魂社。右が大納記念碑。1820年市川團十郎が芸道の望みをかなえたいため、1821年に建立。以来役者や芸人など、多くの技芸向上を祈願する守護神として崇敬されている。

本殿。1843年に建てられた豪壮な権現造りで、江戸後期の建築様式の特徴を出している。国指定重要文化財。源頼信が白狐に乗った神から箭(や)と弓を授かる夢を見て、戦に勝ちこれに感謝し、本殿を寄贈したと伝えられている。

月夜見尊は天照大神に命じられ保食神の元を訪ねる。保食神は口から米や魚、獣を吐き出し月夜見尊をもてなした。しかし、月夜見尊は口から吐き出したものを出すとは何事だと怒り、保食神を斬ってしまった。これを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊には会いたくないと言い、それが元に太陽と月は昼と夜に出るようになった。(日本書紀に記された一部)

箭弓をやきゅうと読むことからか、野球関係者のパワースポットになっている。たくさんの絵馬が吊るされているが、形がホームベースということも手伝って野球に関する願い事ばかり。

甲子園出場や必勝祈願。ベンチ入りからレギュラー出場など様々な願いが書かれている。隣の絵馬はバットの形をしたユニークな絵馬もあった。どこかにグローブの形をした絵馬もありそう。

必勝祈願に野球少年かと思ったら野球少女までが祈願に訪れる。ご利益は野球だけではなく、五穀豊穣、商売繁昌、家内安全の守り神である他、交通安全、厄除、火難除、開運、学業成就、芸能向上等の祈願社として信仰を集めている。

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東武東上線、武蔵嵐山駅〜東松山駅の区間は、武蔵の国で、有名な戦国武将が活躍した地でもありました。菅谷館や箭弓稲荷神社、松山陣屋跡など歴史的建造物も多数あり、ぶらりと名所を立ち寄るぶら歩きは面白かった。森林公園駅には自然に囲まれた丘陵公園があり、鉄道好きには車両がよく見える景観の、東武鉄道の車両基地がある。見どころが多い沿線歩き。今度はゆっくり散策してみたい。
