東武宇都宮線は単線になっている。

ここの踏切りで撮影した東武宇都宮線の動画です。
東武宇都宮線(左)と東武日光線(右)の間に道路がありそこを走って行く。

しばらく走り振り向くと両線が別れていくのがわかる。右の東武日光線にはリバティが映っている。

新栃木駅は車両基地にもなっており、検査や修理、清掃などが行われる。

かつて快速列車として活躍していた6050系だ。今は時々シーズン列車として運行しているのだろうか。

線路沿いから離れ市街地の通りに出た。この先の交差点が合戦場。

交差点を左に入り線路を渡ると合戦場駅が見えてきた。
駅名の由来(東武鉄道のホームページより)
「合戦場」の名は、戦国時代の皆川城主・宗成と宇都宮城主・忠綱が、現在の駅西400~500mにある白地沼を中心とする標茅ケ原(しめじがはら)で戦ったことから由来するといわれています。当時の記録が地名として、さらには駅名に残っています。また合戦場は江戸時代に宿場町として栄え、標茅ケ原は東国の名所です。

駅前に鬱蒼と生い茂る林の中に静かに佇む神社が鎮座する。1596年神祇伯白川殿の歓遷により当地の守護神として奉斎された。その後1859年、中島市兵衛・大川太郎助・若林正一郎・中島邦三郎等が発起人となり、その二年後に壮麗な宮殿を再築し今日に至る。
▼磐根神社。1596年創立。神祇伯白川殿の歓遷により当地の守護神として奉斎された。

鳥居をくぐると参道に赤い灯籠が並んでいる。

日露戦役記念碑が建っている。

主祭神は磐裂命・根裂命。磐裂命・根裂命(イワサク・ネサク)は、イザナギがカグツチを刺殺した際に、十拳剣に付いた血から生まれたとされ、岩や木の根を裂く雷神としての信仰がある。栃木市都賀町は、イワサク・ネサクを祀る神社が多く、日光修験の影響によるものと考えられている。(ウィキペディアより)
▼拝殿。1861年に再築された社殿は宏壮美麗で立派なつくり。

▼稲荷神社。拝殿の左手前にある境内社。お社には琴平神社・愛宕神社・白鳥神社が合祀されている。

▼合戦場駅。無人駅のようなので中に入場してみる。

こちらは新栃木駅方面。

こちらは新鹿沼駅方面。

合戦場駅を通過する特急リバティの動画です。
住宅地を走っていると歴史を感じさせるような公園が現れる。

市の指定文化財栃木城址のようだ。栃木城は現在の城跡以前に1394年に築かれた古城があった。その後小田原合戦中に皆川城を失った皆川広照が1591年に現在の地に新しく築いたのが栃木城である。1609 年に皆川氏の改易とともに取り壊されたと言われている。
▼栃木城址公園。栃木城は徳川幕府との関係が深い城と思われるが、19年という短い歴史であった。

裏側に回ってみる。石垣がありお城があった面影が残っている。

階段を登ってみる。ここにお城があったと思われる。栃木城は外周918mで城の中心である本丸は東西149m、南北131m、東側に二の丸と三の丸、南側に南丸、北側に屋敷があったと考えられ周囲に広さ18mのお掘りがあったと言われている。発掘調査の結果、堀底に畝のような盛り上がりを有する堀障子が見つかり、北条氏の城の特徴である障子堀であることがわかった。また三つ葵紋の信楽焼の椀の一部が発見され徳川幕府との深さが想像される。
