滋野駅から徒歩で約15分のところにある蜂のミュージアム。だいぶ前に筆者が見学した蜂天国だ。蜂の楽園と言っても中に蜂が住んでいるわけではない。

▼蜂天国。入館料大人300円、小学生以下無料。

建物の中にはスズメ蜂がつくった巣が多数あり、蜂の巣を人の手を加えて仕上げた芸術品600点が展示されている。はちみつも直売しており、味は濃厚で美味かった。小さな瓶であれば安く買える。
▼画像は蜂天国ホームページより

8月〜10月には蜂の巣作りが見学できる。スズメ蜂を讃え、敷地には蜂の供養塔がある。

スズメ蜂のモニュメントがある。上信越自動車道の東部湯の丸インターを下りた先の交差点にも同じようなモニュメントが設置されている。
蜂天国の情報サイトはこちら🔽

蜂天国見学後、滋野駅から軽井沢行き列車に乗り込む。滋野駅から小諸駅に向かう車内の動画です。一緒に鉄道旅している気分で見てください。
▼小諸駅。八ヶ岳高原や清里高原など自然豊かな高原を走る、小海線が乗り入れしている駅である。


高原列車とよばれる小海線は、八ヶ岳の野辺山高原から千曲川の上流に沿って佐久盆地までを走り、甲斐小泉駅-海尻駅 間は標高1,000 mを超える。清里駅- 野辺山駅間には標高1,375 mと日本全国のJR線で最も標高が高いJR鉄道最高地点がある。
▼小海線のキハ110系列車でづ。動画もご覧ください。

小諸市は人口約4万人でかつては小諸藩の城下町であった。近くには懐古園小諸城跡があり観光シーズンは賑わう。高原の城下町小諸は寺社仏閣が数多く点在し、駅近くには小諸城址懐古園がある。懐古園は桜の名所として知られ、日本桜名所100選に指定されている。園内には美術館や藤村記念館、動物園などが整備されている。

懐古園に行くには東西自由通路を渡る。

階段を降りるとすぐに小諸城址懐古園の入口三の門がある

(懐古園ホームページより紹介)
小諸城の起源は、平安時代から鎌倉時代にかけて「源平盛衰記」や「平家物語」に登場する小室太郎光兼(木曽義仲の武将)が、現城址の東側に築いた館(宇頭坂城)に始まる。やがて小室氏は南北朝時代に衰退し、大井氏が勃興して小諸佐久地方を支配することとなるが、戦国時代に入り、佐久地方も戦国の騒乱に巻き込まれ、大井宗家は滅亡し、大井家の一部は小諸に逃れ、中沢川のほとりに小諸城の前身である鍋蓋城を築城し、さらに激化する乱世に備え、その子孫が乙女城、別名白鶴城を現在の二の丸付近に築城し、周辺の要地には支城を配置して外敵に備えた。

天文23年(1554年)、甲斐の武田信玄の侵攻で鍋蓋城以下は武田氏の手中に落ち、以後約30年間、武田氏の城代によって支配される。信玄は、この地の重要性にかんがみ、重臣の山本勘助と馬場信房に命じて鍋蓋・乙女城を取り込んだ新たな縄張りをさせ城郭を整備した。これが小諸城の原型である。 武田氏の滅亡後は、織田、徳川と支配が移ることとなる。

元禄15年(1702年)、越後国与板藩より牧野康重が1万5千石で入封すると、版籍奉還まで約170年間、牧野氏が10代にわたって居城とした。 明治4年(1872年)の廃藩置県で小諸城は役割を終え、明治13年(1880年)に城郭は小諸藩旧士族へ払い下げられ、旧士族により本丸跡に懐古神社が祀られ、「懐古園」と名付けられた。

その後、大正15年(1926年)に、造園の権威である本多静六の設計により、近代的な公園に生まれ変わった。


微古館には小諸城に関わる武器、甲冑、古文書、書画など展示されている。


園内にある島崎藤村記念館。

大手門公園は敷地面積15,900㎡の規模で、ガーデンエリアとイベント広場に分かれ様々な催事などが開催される。

大手門は小諸城の正門として、仙石秀久によって創建された。創建は慶長17年といわれ、華美な装飾をはぶいた質実剛健な建築は、東日本を代表する大手門建築のひとつだ。国指定の重要文化財はこの門をくぐり右側にある。

▼小諸城大手門。国指定重要文化財。

懐古園の情報はこちらの公式サイトから🔽

しなの鉄道上田駅〜小諸駅間途中下車の旅は、戦国時代に数々の合戦があった歴史ある地だった。武田信玄・徳川家康・真田三代など大河ドラマでもお馴染みの武将で、名前だけしか知りませんでしたが、いろいろと歴史資料を読んで行くと壮絶な戦いがあり、改めて歴史を知ることができて面白かった。長野県の信濃路は仕事で長いこと訪れてきましたが、歴史的な建造物が多く、歴史上の人物も立派で初めて知ることが多く、あまり歴史は興味ありませんでしたが調べるのが楽しかったです。これからもまた、寺社仏閣を巡りながら歴史ドラマを探っていきたいと思います。
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