目 次
標高1,000メートルの高所の追分宿
1.中山道と北国街道の分岐点に位置した要衝の地
同じしなの鉄道沿線にある宿場町の追分宿は、浅間根越の三宿(追分·沓掛·軽井沢)の一つで、中山道と北国街道の分岐点に位置し、官道時代からの交通の要衝の地であった。
▼追分宿。中山道69次のうち江戸から数えて20番目の宿場。

北国街道と中山道の分岐点には「追分の分去れ」には今も7つの石造物が残されている。当時旅人同士が親しくなり、行き先が分かれ名残惜しむことからこの名がついたと言われている。「さらしなは右 みよし野は左にて 月と花とを 追分の宿」と詠まれた、道しるべの碑がある。

当時は40戸前後の宿であったが、江戸時代に中山道の大改修が行われ発展した。人馬の往来が多く江戸時代前期には旅籠屋71軒、茶屋18軒、商店28軒などの宿場で、宿場町としては、他とは比較できないほどの整備されたものであった。
しかし当時の建物の大部分は解体され消滅し、現在は枡形の茶屋など数件を残し、かつての宿場町の面影が、わずかに感じられる程度になった。

枡形の茶屋。宿場の西端部には枡形といって、宿内の防衛のため見通しがきかないよう鍵の手に曲げ石垣上の土手で囲ったものがあり、この枡形内にある茶屋のことをいう。現在追分の西入口につがる屋という屋号を持つ、茶屋の当時のまま残る、数少ない建物のうちのひとつ。

▼蔦屋。江戸時代の現存する数少ない建物のうちのひとつ。町の有形文化財。

数少ない建物の3軒目は「ままごと屋」という雑貨店をして残っているようだが、営業しているかわからない。

土産店や飲食店など並んでなく、大規模な宿場町とした保存地区ではないため、この通りを散策している人はあまりいなかった。
追分宿郷土館への入口。

旅籠に真似てつくられた建物で宿場の雰囲気を出すため、内外装とも木造風の出桁造りにしている。追分宿や軽井沢町西地区の資料を集め、宿の構造や歴史などへの理解を深めてもらうように保存し、1985年に開館した。追分地区の資料を中心に、縄文時代から現代までに歴史を知ることができる。2階の企画展示室では追分に関係する古書·古文書、旅籠や茶屋の模型など企画展に合わせて展示されている。
▼追分宿郷土館。主な収蔵品:町指定文化財の大般若経約600巻、追分宿本陣文書・和書、追分宿の宿場と旅籠の資料を中心に、軽井沢西地区の資料。追分に関係した文化人の資料など。

2.追分宿へのアクセス
【電車でのアクセス】
しなの鉄道信濃追分駅から徒歩約15分
東京駅➡︎軽井沢駅➡︎信濃追分駅
JR北陸新幹線・しなの鉄道
乗車券2,880円
特急券2,850円(自由席)
【車でのアクセス】
上信越自動車道碓氷軽井沢ICから約30分。
▼信濃追分駅。標高約1,000mの高所にあり、かつては特急列車が通る日本最高所駅として知られている。

駅員が不在で無人駅。乗車する場合は乗車証を機械から取り下車駅で精算する。

跨線橋から眺めた軽井沢駅方面の風景。高原の駅らしく緑が多く空気が良く清々しい。
▼湘南カラー115系電車。信濃追分駅近くの踏切で撮影。
宿場町探訪の過去記事です。

うちも屋根にうだつを上げようかしら (-‿ – *)
(。 -ω-) よせよ みっともないから
あら、おしゃれだし (-” -*)
アッキーの家も見上げたものねって言われるかもよ
(。 ̄∀ ̄)b ミエはってんのか?
裕福ならうだつじゃなくてオレの小遣い上げてくれよ
今の給料じゃソレは無理ね d(−∀−๑)
やっぱりうだつが上がらないわね こういう時にしっくりくる言葉ねえ